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百合の短編。友人に送ったものを若干手直ししました。と言っても名前とか細かな部分なので、内容はほぼ一緒。
百合も好きです。普段は和風ファンタジーや学園もの、BLなどを中心に創作しているんですけど百合も無性に描きたいなと思う時期があります。もう一つ百合で書きたいものがあるのでこれも天からネタが降ってきたら書きたい。
【小麦肌とウクレレ】
〜夏の音、音が聞こえた夏〜
唸りたくなるような暑さ。
暑いは暑いでも、ジドジドと湿っぽさも合わさって冷たい水が一滴でもあればなり振り構わず貪り飲みたい程の暑さだ。
私は汗を拭う。
夏休みだというのに、制服を着て学校の夏期講習や塾へ通う日々。
受験生という訳ではなく両親から今のうちにしっかりと勉強しなさい、と言われているから、言われるがままに毎日勉強する。友達からは親厳しいね、大変だね、と言われるけど私は毎回言われる度に他人事のように感じながらそうだね、と場の空気を濁しながら苦笑いするのだ。
正直勉強に関してはそれ程苦ではなく、かといって他にやりたいこともないのでただやっているだけなのだ。やりたくない訳ではなく、特別やりたい訳でもない、とりあえずやっていれば将来的に困らない。私にとって勉強とはそんな位置づけだ。
何かを志す訳でもなく、好きなこともない宙ぶらりんな気持ちでも、幸いなことに成績は悪くないので両親からは特にお咎めはない。事実今まで勉強はしてきたから今通う高校も地元では有名な難関校であるため両親は勉強さえしていれば大抵の我儘は聞いてくれる。
今月のお小遣いも高校生にしてはきっと大金だろう。貰ったお小遣いの一部が財布に収まっている。特に欲しいものもないから貯金する金額が増えるばかりだ。最低限の衣類と文房具、それから昼食に使うくらいか。
分厚い参考書とノートが入った鞄が重い。
私は腕時計を見た。
塾の講義まであと一時間以上ある。
自宅を早い時間に出たのは親の目が嫌だったからだ。
勉強を頑張っているという感心の目、大学に進学してほしいという期待の目。
まるで逃げるように塾へと通う日々。
これで良いのだろうか。
いや、良いも悪いもないか。
私にはこれしかないのだから。
音が聞こえる。
私は顔をあげた。
陽気な曲調に優しく弦の擦れる音がする。はっきりと音色は聴こえないものの、遠くではないようだった。私は辺りを見回す。数十メートル先の駅から聞こえる。私は駆け出した。走れば走るほど音色が段々と聡明になっていく。
駅へ到着するとロータリーへと続く階段の片隅に座る女性がいた。
短くきられた髪にほんのり焼けた小麦色の肌、キャミソールにジーンズの恰好。一見男性のような特徴だが、豊満そうな胸元に服を着ていてもしなやかな曲調を描く身体のラインから女性ということがはっきりと分かる。
「あ、あの…」
私は女性に近づき声をかけた。女性の手にはウクレレが乗っている。さっき聞こえた音色はウクレレの音だったのか。女性はにこりと笑い、こんにちは、と顔をあげた。
「今日も暑いよねぇ。外にいるだけで汗が出てくる」
「貴女ですか…?さっき歩いていたら音色が聞こえて」
「ああ、もしかしてこれかな?」
女性は右手で弦を軽く弾いた。さっき聞こえた旋律が目の前で奏でられる。私はこくこくと強く頷いた。
「はいっ。それです、それです!歩いていたら聞こえてきて…いいな…って思って」
「ありがとう。結構先まで演奏が聞こえていたんだね」
「ウクレレのプロの方ですか?」
私は女性に尋ねる。女性は、違うよ、と眉をハの字にさせながら、あははと笑う。
「アルバイトしながら暇さえあれば路上で演奏している、しがないウクレレ弾きよ」
君はこれから学校?と女性は私の制服を見ながら、あ!と声を上げる。
「…って君もしかしてあの学校の生徒!有名大学進学者をたくさん輩出しているっていう」
「ええ…まぁ…」
「そっか、ごめんね寄り道させちゃって…もしかして授業へ行く途中だったかな」
せかせかとウクレレを楽器ケースへ仕舞おうとする女性。
全然!大丈夫ですからっ、と私は慌てて止めるように声を上げた。
「塾の時間まではまだ時間があるので大丈夫ですよ」
「ほんとう?急ぎじゃなくて良かった〜」
「…多分急いでいたとしても立ち止まって聴いていたと思う」
「え?何か言った?」
「いえいえ!何でもないですっ…それで…塾へ行く前に良かったら一曲、お願いしてもいいですか?」
無意識に出た一言を誤魔化すように私は女性へ演奏をお願いした。危ない、と内心で胸を撫で下ろす。
今の言葉、聞かれなくて良かった。
女性はいいよ、と二つ返事で演奏を了承してくれる。
「それでは。可愛いお客さんのために一曲、演奏しちゃおっかな」
「可愛い…って」
「可愛いの代名詞と言っても過言ではないでしょ。セーラー服にさらさらの長い髪、それと」
そばかす、と女性は微笑む。私はかああ、と顔が赤くなる。
結構気にしているのに…。
恥ずかしくなる私にくすりとしながら女性は静かにウクレレの弦を弾く。
私を茶化す持ち主の性格とは裏腹にウクレレの音色は優しい。
心地の良い和音。
澄んだ一音。
軽やかだけどどこか郷愁的な旋律。
今すぐ走りたくなるような疾走感。
「…どうだったかな」
「……」
「もしもーし?」
女性が私の目の前でひらひらと手を振って、はっとする。いつのまにか曲は終わっていたことに気づいた。
女性は大丈夫?と首を傾げる。
「下手過ぎて唖然としてた?」
「全然…!凄いいいなって思って…凄い…」
演奏を聴いていた感覚をどう伝えたら良いか分からず語彙が貧相になる私。良かった〜、と女性は安心したのかぱぁ、と笑顔になる。
「最初のお客さんが君で良かったよ。路上演奏って思っていたより上手くいかないものだね」
「そうなんですか」
私しかこの人の演奏を聴いていないんだ。
良いと思うのに勿体ない。
ふと腕時計を見る。もうすぐで塾の講義が始まる時間になっていた。
もうそんなに時間が経っていたんだ。
「あ…もう行かないと」
「そっか、今日は聴いてくれてありがとうね」
私はこちらこそ演奏ありがとうございます、とぺこ、と一礼をし改札方面へ駆け出した。ちら、と後ろを振り向くと女性が笑いながらウクレレを片手に手を振っていた。
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あの日以来、塾へ行く度に駅周辺を探したが女性に会うことはなかった。
出会ったあの日の後の、塾の授業は全然、頭に入ってこなかった。
それくらいあの人の演奏が離れなったのだ。
また聴きたい、と思った音楽に出会ったのは、多分生まれて初めて。
夏が終わり、秋、冬、春と季節は巡り、いつの間にか、もう一度夏になっていた。
あの人と出会って1年。
私はというと相変わらず勉強ばかりしていた。
自分も周りも受験生だから去年よりは学習に身が入りやすい気がする。
日々の模擬試験も概ね順調で、余程のことがなければ志望校へ行けるだろうと教師も親も安堵している。
私を除いて。
今日も塾へ行く。
何往復したか分からない、いつもの道を歩く。
今日は何の講義をするのか考えていると遠くから懐かしい音色が聞こえた。
もしかして。
もしかして。
私は駆け出す。
駅のロータリーへ着くと、一年前とほぼ変わらない光景がそこにあった。
私は走ったばかりで息を絶え絶えにさせながらも女性へ声をかける。
「私のこと、覚えて、ますか…」
「……!もしかしてあの時の…?」
女性は驚いた様子で心なしか声色が高くなっていた気がした。
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「君と会ったあの日以来、色々あってね…身内のお葬式があったりアルバイトが上手く行かなくて仕事転々としたり。ああ、そうそう。音楽事務所のオーディションにも応募したっけ。結局一次落ちしたけど」
女性は苦笑いを浮かべながら両手でウクレレを抱きしめる。
「私ね、小さい頃からウクレレをやっていて。将来はプロになってたくさんの人に演奏を聴いてもらうのが夢だったんだけど、現実はそう上手くいかないなって。正直、生活がいっぱいいっぱいで」
だから今日でウクレレは最後にしようって思って、と女性は寂しそうにウクレレを見つめる。
「この子とは長い間一緒にいたけど、手放して安定した仕事を探そうかなって」
「私は」
女性の言葉を遮ってしまったけど、私は構わず言葉を続けた。
「貴女の演奏をあの日に聴いて以来、頭から離れませんでした」
優しい音色。
軽やかに弦を弾く指遣い。
陽気だけどどこか哀愁が漂う旋律。
「私、ウクレレのことをよく知らなくて、あの後少しだけ調べたんです。ウクレレってギターやピアノとかと比べて音域が狭くて奏者の工夫や創造力が試される楽器なんですって」
音域の限界を感じさせない、たった四弦で紡がれる音の世界。
「貴女に出会うまではなんとなく勉強してなんとなく今の学校に進学して、やりたいこと、好きなことがなかったんです。だけど貴女の演奏を聴いて、初めて興味あることに気づけて、だから」
ウクレレを辞めないで、という台詞が震える。
女性はゆっくり私に近づき、そっと抱き寄せありがとう、と耳元で囁いた。
「自分の演奏を慕う人を蔑ろにするのはプロ以前に奏者として駄目だよね」
もう少しだけ待っててくれる?と女性は私に語りかけた。
「今すぐには難しいけど、いつかウクレレと一緒に帰ってくるから」
そう言いながら女性は名刺を取り出し私へそっと渡した。名刺の真ん中に「夏音」と書かれていて、右下には電話番号とメールアドレスが小さく書かれている。
「夏の音…」
「私の名前、なつねって読むの」
君の名前は何て言うの?と夏音さんは私へ尋ねた。
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「ってことがあって早十年かぁ…時が経つのは早いよね、うん」
「もう…お酒飲む度に蒸し返さないで下さい。何回目ですか夏音さん」
数杯の酒が入り、酔いが回っている夏音さんがふふふ、と微笑む。
あれから十年。夏音さんはウクレレのプロ奏者になり、国内だけでなく世界でも公演を開催している。最近だと不定期でウクレレ講師の仕事も始めたらしい。
私はというと有名大学を卒業し、音楽事務所へ就職、現在は夏音さんの専属マネージャーをしている。
「喜久美(きくみ)」
夏音さんは私の名前を呼ぶ。
「何ですか」
「久々に、しない?」
「…単刀直入ですね」
「でも嫌じゃないでしょ」
「分かっている癖に」
どちらともなく口づけを交わす。
口先を触れ、舌を絡まれ、口内に夏音さんの舌が挿り私の舌や口腔内を撫でる。ん、と思わず甘い溜息が溢れた。
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「…久々だからってちょっとがっつき過ぎだと思いますよ」
「あはは、ごめん。だって喜久美が可愛いからつい…でも気持ち良かったでしょ?」
「………もう良いです」
ぼふ、とふかふかの枕に顔を埋める私。
向こうのペースなのは今に始まったことじゃないし。
私と夏音さんはマネージャーと奏者という関係と同時に恋人同士でもあった。告白したのは向こうから。丁度私が事務所へ就職して暫く経ったころだっただろうか。今でも覚えている。告白されたあの日の夜景は綺麗だった。
「拗ねないでよ」
「拗ねてないです疲れているんです誰かさんのせいで」
「だからごめんって」
夏音さんは私の頭をそ、と撫でる。そういえば言っていなかったと思うんだけど、と夏音さんは私の頭を撫でながら口を開く。
「多分急いでいたとしても立ち止まって聴いていたと思う」
「……」
「初めて会った時に喜久美がぼそって言ったこと、実は聴こえていてさ」
あの時、君が将来のことで思い詰めていたのを何となく察しちゃって、と夏音さんは部屋の端の机に置かれているウクレレを見る。
「あの一言が耳にずっと残って、ああ、こんな素人でも誰かの記憶に残るような音色が奏でられたのかって思ったよね」
「プロ奏者が言うと嫌味に聞こえますよ」
「だから昔の話だって。分かっていて茶化してるでしょ」
「そばかすのこと言ったお返しです」
「ふふ、いつのお返しよ」
「高校生の女子にそばかすの指摘はデリケートなことなんですよ」
「えー可愛いのに」
考えると、私たちって出会うべくして出会った感じじゃない?と夏音さんは私の隣に横たわる。私は夏音さんの方を向き目があった。
「あの時、立ち止まってくれてありがとうね」
君と出会なければプロになれてなかったかも。と夏音さんは私の額にそっと口づけをした。それはこっちの台詞ですよ、と私はぎゅ、と夏音さんを抱きしめた。
貴女の奏でた音色があったから好きなものが見つけられたんです。
だからこれからもたくさんの人に貴女の音色を届けるお手伝いをさせて下さい。
いつのまにか朝日が昇り、じりじりと蝉が鳴き始める。
また今年も夏がやってきた。